軍服感覚と武器感覚
  ――戦争・軍隊に青春ありや
        
主人――日中戦争従軍体験者 
来客――大阪府立某高校教師(三十二歳)
 
客「今日は私のために貴重なお時間を割いていただきまして、申し訳ございません。どうでもあなたに直接お目にかかって、お聞きしたいことが出来したものですから……」
 主「いやいや、実は私も、熱心に私のホームページをご覧いただいては、電子メールでいろいろとご意見を聞かしてくださるあなたに、一度お目にかかりたいと思っていたんですよ」
 客「ぼくはあなたの『浪速の詩人工房』のファンです。インターネットのホームページは星の数ほどあるけれど、従軍体験者が自ら開設して、アクチャルな戦争論を披瀝しているのは、これだけしかありませんからね」
主「そういうふうに言われると、穴があったら入りたいです。私のホームページなんてものは、しょせん老兵の繰り言にすぎないのですからね」
 客「実は今日お邪魔しましたのは『兵士に青春があったのか』という問題で教えてほしかったからなのです」
主「兵士に青春?」
客「実は私が教室でアジア太平洋戦争について講義をしていたところ、一人の女子生徒が手をあげて『先生、その当時の兵隊さんには、青春というものはなかったのですか』と質問してきたのです。正直言って、ぼくはこの質問に立往生してしまいましてね」
 主「うむ。生徒さんからそういう質問が出るということは、戦争の当事者であった兵士の実態が、もう一つよく分かっていないということですかね」
 客「そうなんですよ。ぼくはアジア太平洋戦争について教える場合、日本がアメリカなどから受けた被害面と、日本が中国をはじめ東南アジアの国々に与えた加害面という、戦争の両面を見なければならないと言ってきました。被害面の代表的なケースは、もちろん広島・長崎に原爆が投下されることによって生じた一大惨劇です。そして加害面での代表的なケースは、日本軍が中国でおこなった南京大虐殺、それに従軍慰安婦の問題などがあります。ところが、こうした教科書に基づいての大雑把な戦争のとらえ方、教え方では、戦争の当事者だった日本軍兵士の生きた姿が生徒には見えてこないようなのです。そこで生徒は、戦争をした兵隊さんはみんな若い人ばかりであったはずだが、その人たちは青春の喜びといったものを持っていたんだろうか、と疑問を持ちはじめたのです」
主「つまり、生徒さんにすれば、戦争と言えばいつも暗い話ばかり聞かされるので、戦争の当事者である兵士たちにも暗い面ばかりしかなかったのか、と考えてしまうわけですね」
 客「そういうことだと思います」
 主「じゃあ、お答えしましょう。戦争というものは、青春と無関係であるどころか、青春そのものなんですよ。こういう言い方をすると奇矯に聞こえるかも知れませんが、戦争というものは若者のエネルギーを爆発させることによって、初めて成り立つ国家の大事業でしょう。だから戦場や軍隊には兵士の青春が満ち溢れていたとも言えるのです」
 客「でも、戦場や軍隊における兵士の青春と、今のような平和な世の中における若者の青春とは大きな違いがあるのじゃないですか」
 主「もちろん大有りです。兵士の青春は自由が大きく制限されています。そこが平和な時代の若者の青春と決定的に違っているところです。だからといって、兵士には青春がなかった、とは言えないのです」
 客「兵士には自由がなくとも、それなりの青春があったとおっしゃるのですか」
 主「お年寄りでよく自分の青春は戦争によって奪われてしまった、と言ってる人がありますよね。その人は、戦争さえなければ自分にはもっといい青春があったのではないかと考えているわけでしょう。それはその通りだと思います。が、いかなる権力といえども、その人の青春を根こそぎ奪うことは出来ないのです。私なんぞは、満二十歳という、それこそ『青春真っ只中』で軍隊に入り、中国大陸の戦場に駆り出されたのですからね」
 客「その青春の真っ只中で、軍隊に入る時の気分は、どんなだったんですか」
主「当時は徴兵の義務というものがあって、日本男児と生まれなば、満二〇歳で軍隊に入らなければならないと、小学生の頃から耳にたこが出来るくらい聞かされてきました。ですから、とうとう来るべきものが来たという感じでしたね」
 客「満二〇歳といえばもう一人前の青年ですわね。人によっては、それまでにかなりの仕事とか研究とかをしてきた向きもあると思うんですが、それが軍隊に入ることで否応なしに中断されるわけでしょう」
 主「その通りです。仕事だろうと趣味だろうと恋愛だろうと、将来に向けての人生設計だろうと、なんでもかでも、有無を言わさず中断させられたのです。このように今まで自分がやってきたことを、強制的に中断させられるのはとても嫌なことですが、あながち嫌なことばかりではなかったのです」
 客「と、言いますと……」
 主「軍隊に入るということは。それまで自分がおかれていた環境からエスケープできるということでもあったのですよ。人によっては、軍隊に入ることは、すなわち気に入らない職場や仕事、あるいはうとましい家庭や肉親のきずなから脱出する絶好のチャンスとなったのです。私の場合、入隊前の一年間ほどは徴用工として呉の海軍工廠へ強制的に引っぱり出され、いやいや仕事をしていましたから、軍隊へ入ることはすなわちここからの脱出を意味していたのです。脱出といっても自分の都合でこそこそとやるのじゃなく、誰にも非難されない天下晴れてのエスケープですからね。もっとも私には好きな女の子がいたのですが、この人との別れだけはさすがにつらかったですね。この人との関係だけが、私にとって『軍隊へ入ることで中断したくなかった唯一のもの』でした」
 客「では、軍隊に入るのはそれほど抵抗がなかったということですか」
 主「いやいや、半ば諦めているものの、出来れば軍隊に入らないですませたい、という気持ちは強かったですよ。軍隊に入れば勝手な振舞は出来なくなるし、それに相当しごかれると聞いていましたからね」
 客「井上さんが軍隊に入られたのは、たしか一九四二年(昭和一七)で、いわゆる大東亜戦争が既にはじまっていましたよね。ですから軍隊に入ると必然的に戦場に立たねばならないし、場合によっては戦死も覚悟しなければならない、ということじゃなかったのですか」
 主「うむ。兵隊になったら、いずれどこかの戦場に駆り出されるといったとこまでは考えたが、自分が戦死するかも知れないとは思わなかったですね。元来、兵隊というものはね、みんな自分だけは戦死しないと思っているものなんですよ。だから戦争に行けるんです。間違いなしに戦死すると分かっていたら、いくら命令でも、戦争に行く者なんかありませんよ。逃げますよ」
 客「そんなものですかね。で、初めて兵士になった時の気分はどうでしたか」
 主「うむ。私はいったん大阪城の近くにあった歩兵連隊に仮入営し、まもなく華中に駐屯していた歩兵連隊に送られ、そこで正式に入隊したのです。で、何月何日に大阪の連隊へ出てこいという命令をうけて出頭しますと、すぐさま身につけていた一切の衣服を脱がされ、真新しい軍服に着替えさせられました。上着には陸軍二等兵という軍隊では最下等の身分をあらわす階級章がついていましたが、不思議なことにはこの軍服を着たとたんに、自分という人間が、にわかに別人に変わってしまったような気分になりました。ちょっぴり悲しく、ちょっぴり嬉しいようなヘンな気持ちでしたね。この制服を着た以上、自分はもう娑婆の人間では無くなってしまったのだ。ジタバタしてもはじまらないのだと観念しましたよ」
客「軍服というものは、そんなに若者の気持ちを変えてしまうもんですかね」
 主「それこそ、あなたのように一度も軍服を着たことがない人には、容易に分かって貰えないと思うんですが、軍服というものはまことに不思議な衣服なんですよ。魔法のコスチュームと言ってもいいかも知れませんね」
 客「魔法のコスチューム?」
 主「ええ、軍服を着ることによって自分の『個性』というものが滅却してしまうんです。娑婆にいた時は、曲がりなりにも自分なりの顔とか癖といったものを持っていたけれど、それが軍服を着たとたんに無くなってしまうんです。実に爽やかに消え失せてしまうんですよ。そして、大日本帝国陸軍の一兵士というレッテルが、全身にベッタリと張られてしまうんです」
 客「では、初めて軍服を着せられた時に、若者としての抵抗感、違和感みたいなものは、全然なかったのですか」
 主「全然なかったと言えば嘘になります。が、そこが好奇心いっぱいの若者のことですから、軍服を着たら自分はいったいどうなるんだろうという気持ちが強く働いて、少々違和感があってもサッサと着てしまうんですね。そして軍服を着てしまうと『軍服感覚』とでもいうしかない、不思議な気持ちが五体にみなぎってくるのです」
 客「軍服感覚という言葉は、初めて聞きました」
 主「いや、これは私が勝手に作った言葉ですよ。軍隊に入って軍服を着たとたん、急に『オトコになった』という気持ちがしてくるんです。同時に自分は大日本帝国陸軍という目に見えない巨大な組織の一員になったので、それに『帰属』しなければならないといった意識も湧いてきます。また『今後は集団の一員として、みんなと同じように行動をしていけばいいのだ。自分であれこれ思いあぐねる必要はないんだ』といった無責任というか、あなたまかせというか、いわゆる他力本願的な考えも出てきますね」
 客「いま、集団の一員としてとおっしゃいましたが、井上さんといっしょに軍隊へ入った人がたくさんおられたわけですね」
 主「そうなんですよ。私は凡そ五百人からの若者たちといっしょに大阪の連隊に入ったのです。昭和十七年に徴集されたから『十七年兵』と言われました。そして、私たちのように軍隊に入ったばかりの新米の兵士は『初年兵』と呼ばれていました。さっき言いましたように、私はこの初年兵仲間と共に、華中の一角を占領していた歩兵連隊へ『輸送』されて行ったわけでです。だいたい歩兵連隊には十五ほどの中隊がありまして、一つの中隊に約五十名づつの初年兵が配属されるわけです。こうして同じ中隊に配属された者同士が『同年兵』として、今後は何事も一緒に行動しますから、この連中とはだんだんと親しくなっていくのです」
 客「そうした配属の割り当ては、中国の占領地に着いてからおこなわれたのですか」
 主「いいえ、大阪の連隊に入った時、既に自分が所属する中隊が決まっておりました。誰が決めたのか分かりませんが、ずいぶん手回しがいいことです。ですから私は大阪ではじめて五十人の同年兵と引き合わされたのです。が、みんな軍隊に入ったものの西も東も分かりませんから、なんとなく不安です。おどおどしています。でも『自分と同じ運命にある者』と一緒にいると思うと、なんとなく心強いのです。気丈夫なんですよ。これがたった一人で軍隊に入れられるんだったら、どんなに心細いことでしょう。それこそ気が狂いそうになると思います。その点、軍隊はうまく出来ていたのです。『赤信号、みんなで渡れば怖くない』という言葉があるでしょう。軍隊はこうした人間心理を巧みに利用して、なにごともみな集団でやらせていたんですよ」
 客「すると軍隊における青春とは、集団の青春と言えるのじゃないでしょうか」
 主「そうです。あなたはうまく言ってくれましたね。若者がいったん軍隊に吸収されてしまうと、その青春を個人的に謳歌する道は閉ざされてしまうけれど、そのかわり集団的に青春が発揚される道が開かれて行くのです」
 客「その集団的な青春が爆発するのが戦争なんですね」
 主「そうです。軍隊で若者の青春が集団化され、その青春が戦争遂行という方向に持って行かれるのです。手に手に武器を持たされてね。これを視点を変えて表現すると『武器を持たない個人的な青春』から『武器を持った集団的な青春』へと変換させられてしまうわけです」
 客「武器はどんなものを持たされたのですか」
 主「大阪の連隊へ初めて入ったとき、すぐ支給されたのは一人に一挺ずつの三八式歩兵銃という名の小銃と、腰にぶら下げる帯剣(銃剣)でした。その他、実弾を入れて帯剣と一緒に腰につける薬盒などもありました」
 客「手榴弾は……」
 主「手榴弾は中国の駐屯地の中隊で支給されました。こうした前線では、所属する中隊によって、小銃以外に擲弾筒、軽機関銃、重機関銃、歩兵砲といった様々な武器を持たされたものです」
 客「初めて武器を手にした時の感じはどんなものですか」
 主「さっき、真新しい軍服を着せられて、私は『軍服感覚』といったものを持ったと言いましたね。今度は小銃と銃剣という二つの武器を生まれて初めて持たされて
『武器感覚』というべきものを持ちましたね」
 客「それはどういう感じなのですか」
 主「全長一二八センチ、重量四キロ、手にズシリと重い小銃を持った時は、ちょっと怖い気がしました。だってそれまで、銃といえば空気銃ぐらいしか知らなかったのですからね。これはオモチャじゃない、ほんとに人を殺すための道具だと思うと、おっかない感じなんですね。しかし、一方ではこうした武器が珍しく、いじるのが面白いという感じもありましたね。そして、なによりも、自分はこうした武器を持つことによって、急に強くなった、男らしくなった、もう怖いものはないんだという感覚が全身を電流のように貫くんです。これを私は『武器感覚』と言いたいのです」
 客「その小銃で実弾を発射するわけですね」
 主「そうですけれど、軍隊では武器の取り扱いに馴れていない初年兵には、すぐに実弾を小銃に装填し、発射させるなんてことはさせません。暴発という事故が起きるからです。私がそうした実弾による射撃訓練を受けたのは、中国の駐屯地に着いてからでした」
 客「軍隊では武器の取り扱いは、なかなか慎重なんですね」
 主「三八式歩兵銃の銃身には、天皇家の紋章である『十六花弁の菊の御紋章』というのが刻み込まれていました。上官はこの紋章を示しながら『これは恐れ多くも天皇陛下より賜った銃である。この銃は貴様らの命よりも大切なものなのだ。もしもこれをなくした場合、もはや貴様らの命はないものと思え』と訓示を垂れました」
 客「武器が人間の命より大切だということですね」
 主「その通りです。やがて私たちは、大阪の連隊で小銃をかついで行進したり、駆けたりするといった初歩的な訓練を受けて、少しは兵隊らしくなったところで、いよいよ中国大陸に向かって出発していったのです」 

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