「週番士官殿、銃を返してください!」

 

     
「橋梁衛兵」などといっても、軍隊経験のないお方には、何のことかお分かり になるまい。戦場で軍隊にとって大切な橋の番をする兵士のことだ。私は日中戦 争に従軍している時、何度か橋梁衛兵の任務についたことがある。場所は中支那 は江西省のAという田舎町。 この周辺に私が所属する歩兵連隊が分散、駐屯し ていた。
 私は昭和十七年十二月に、大阪の連隊に満二十歳の現役兵として入隊。すぐ さま中支那の前線部隊へ送り込まれ、ここで厳しい初年兵(新兵)教育を受けた のだった。そして四ヵ月後、連隊長による第一期の検閲を受けて、ようやく実戦 に参加できる兵士とみなされたとたんに、この橋梁衛兵の仕事がまわってくるよ うになった。
 橋はAの町を貫流するT河に架かる長さ約三百五十メートル、幅約四メート ルの木橋で、その名もA橋といった。昭和十六年八月に工兵連隊が多数の中国人 を使って竣工させたらしい。その前にあった橋は、この方面での戦闘の際、日本 軍の追撃を遅らせるために、中国軍の手で破壊されたということだった。そして 今度の新しい橋も、中国軍ゲリラに爆破されることを恐れて、歩兵連隊あげて厳 重な警備にあたっていたのだ。歩兵連隊には私が所属する××中隊をはじめ、機 関銃中隊、通信中隊、一般の小銃中隊など全部で十七の中隊があったが、それぞ れの中隊から交代で橋梁衛兵を出すことになっていた。
「井上二等兵、×月×日の橋梁衛兵へ上番を命ず」
 といった命令を受けると、同じ命令を受けた十二名の兵士とともに、やはり 衛兵司令(衛兵の長)の任務についた下士官に引率されて橋に向かうのである。 中隊から橋までは四キロほどの道程があった。
 衛兵詰め所は小さなバラック建てで、橋の両端に一ヵ所ずつあった。私たち の中隊が受け持つのは、いつも左岸の詰め所と決まっていた。右岸の詰め所はな ぜか保安隊といって、日本軍に忠誠を誓う中国人の傀儡軍兵士が受け持っていた 。
 午前八時四十分に詰め所に着くと、そこで前日から勤務していた他の中隊の 衛兵と交代するわけだ。衛兵勤務は二十四時間体制で、当日の午前九時から翌日 の午前九時まで詰め所にいなければならない。衛兵司令になるのはいつも下士官 ときまっていたが、一般の衛兵は初年兵、二年兵、三年兵と新旧の兵士とりまぜ て構成されるのが常だった。だから私のような初年兵にとっては、どうか人の好 い衛兵司令や古参兵といっしょになりますようにと、神に祈らないわけにはいか なかった。なにかといえば大声で怒鳴ったり、ビンタをくらわすような下士官や 古参兵といっしょになったらたまったものではなかった。
 橋のたもとにある衛兵の詰め所には手作りの腰掛けが置いてあって、昼間は 衛兵司令以下がそこに威儀を正して着座していなければならなかった。もしも将 校に引率された部隊が橋を通過する場合は、ただちに衛兵司令の号令によって一 同が起立して不動の姿勢をとり、鄭重な敬礼でもって部隊を見送らねばならなか った。
 時には高級将校が乗った車が、勢いよく橋を通過していくことがあったが、 こういう場合も衛兵司令以下全員の緊張は頂点に達するのだった。また衛兵には 二、三名が橋の上に立ち、中国人通行者の取り締まりにあたるという任務もあっ た。
 ところで連隊本部には、こうした橋梁衛兵の勤務が忠実に遂行されているか どうかを調べる役割を持った将校がいた。それは週番士官といって、いつも数名 の部下を引き連れ、昼夜を問わず不意打ち的に衛兵のいる所へやってくるのであ る。こうした週番士官の巡察を、衛兵は非常に恐れていた。もしも衛兵が定位置 についていなかったり、勝負事に耽っていたり、酒を飲んでいたり、居眠りなど しているところを週番士官に見つけられでもしようものなら、すぐさま処罰され ねばならなかった。
 そこまでいかなくとも、傲慢で意地の悪い週番士官にかかると、些細な落ち 度をくどくどと指摘されたあげく、衛兵司令以下全員がビンタをとられるといっ た羽目になるのだった。要するに衛兵にとって週番士官は蛇蝎のように忌むべき 存在だった。このように衛兵勤務は責任が重く、一つ間違えばとんでもないこと になりかねない仕事だったが、ただ一つ、軍事教練のように激しく身体を動かさ なくともいいところが兵士たちに喜ばれていた。
 さて、安義橋は昼間に限って中国人の通行を許していたので、日に二百人前 後の老若男女が行き交いした。それらの中国人をいちいち呼び止めて、抗日ゲリ ラがまじっていないかどうかを取り調べるのも衛兵の仕事だった。中国人はみん な日本軍があやつる傀儡政権が発行した顔写真つきの「良民証」という身分証明 書を持たされていた。これを持たない者は通行を許さないばかりか、怪しい奴と みなして衛兵司令の前に連行することになっていた。
 私たち衛兵は筒先に銃剣をつけ、実弾を込めた三八式歩兵銃を槍のように構 えながら検問をおこなうので、反抗したり文句を言ったりする中国人は一人もい なかった。それをいいことにして私たちは中国人が持っている荷物の中まで無遠 慮に覗き込んだり、容赦なしにボディーチェックをおこなったりした。
 私たち衛兵はいつも美人の姑娘が橋を通るのを期待していたが、若い女は日 本兵に悪戯されるのを恐れてか、めったに姿を見せなかった。橋を渡る中国人は みな年をとっており、その服装も持ち物も一様にみすぼらしかった。
 今にして思えば、自分の生まれ故郷の橋を渡るのに、日本兵からいちいち銃 剣を突きつけられて、さぞかし中国人には恐ろしく、甚だ迷惑でかつ屈辱的なこ とだったろう。しかし当時の私は、自分たちは中国を侵略している軍隊の一員で あるといった意識は全然なかった。また当時の中国の民衆は、日本軍により生産 と経済活動を根底から破壊されて、生活苦にあえいでいたということにも気付い ていなかった。中国人はいつも貧しくて不潔ななりをしていて当たり前と思って いた。
 A橋の下を流れる河の方に眼をやると、時折サンパンとよばれる小型の帆掛 け船がのんびりと行き交うのが見えた。また橋の近くには安義の塔という六面体 のエキゾチックな形をした背の高い塔が望まれた。そして安義の街の低く地面に 這いつくばったような、見るからに沈鬱な感じの家並みも視野に入ってきたが、 そこで中国人がどのような生活を営んでいるのか、私たちには知る由もなかった 。
 いずれにせよ、単調な衛兵勤務も昼間は通行人を相手にしたり、あたりの風 景を眺めたりして、なんとか退屈しのぎをすることができた。ところが日が暮れ ると、まず中国人の通行が禁止される。日本軍の部隊や将兵もよほどのことがな いかぎり、夜間は橋を渡ることはなかった。橋にいるのは左右両岸の衛兵だけに なってしまって、淋しくて仕様がなかった。
 戦争のために発電所が壊れてしまったのかどうか分からないが、安義の町と 周辺の村落には全く電灯というものがなかった。日本軍といえども電気は使えな かった。そのため衛兵詰め所では、インキ壺に石油を入れた手製のランプを使っ ていた。それがよけいに夜を侘びしくするのだった。
 午後九時になると、近くに駐屯している部隊の兵舎で吹き鳴らす、いかにも 物悲しい消灯ラッパのメロディーが聞こえてくる。いよいよこれから、衛兵にと ってやけに長くて、嫌な夜の勤務がはじまるのである。といって十二名の衛兵全 員が揃って徹夜をするわけではない。衛兵司令の指示にしたがい、甲乙二つの組 に分かれて交代で夜を明かすのだ。一組の編成は詰め所を警備する者四名、橋上 に出て警戒にあたる者二名、合計六名である。 勤務時間は一時間で、一時間た てば次の組と交代する。勤務についていない時は、仮眠室で仮眠することが許さ れた。ただし衛兵司令だけは一人で適当に仮眠をとっていた。
 詰め所にある仮眠室は、板間に筵が敷いてあるだけの狭い部屋で、ここで衛 兵は薄汚れた軍隊毛布にくるまってゴロ寝をする。鉄兜と帽子を脱ぎ、腰につけ た銃剣と百二十発の弾薬入りの薬盒をはずすだけで、文字通り着の身着のままで 横になるのだ。服や靴を脱いでゆっくり寝るなんてことは絶対に許されなかった 。敵襲があった場合、すぐさま武器をとって飛び出せるようにするためだ。
深夜の衛兵勤務はとにかく眠たくて、大変つらいものだったが、古参兵といっ しょになると面白い話を聞かしてもらえた。三年兵ともなれば何度も作戦に駆り 出されて死線をくぐってきているので、その話には凄みがあった。
 中国軍と銃剣を振り回して白兵戦を演じた話。捕虜の首をはねた話。中国人 の女を強姦した話。民家からめぼしい衣類を盗んできては金に換えて、慰安所通 いの資金にする話などを、衛兵司令のいないところでこっそりと聞かしてくれた 。二年兵はもっぱら嫌な将校や下士官の噂をした。たちの悪い三年兵の悪口を言 う者もいた。古参兵によっては軍隊に入る前に、どんな仕事をしていたか、どう して好きな女と別れてきたかといった話を、こまごまと語り聞かす者もいた。
 相手が私のような初年兵なので、古参兵はみんな気を許してあけすけにしゃ べってくるのだが、ある三年兵から、やはり衛兵勤務中に聞かされた話だけは、 五十年たった今でも忘れることができないのだ。
「ええか、井上二等兵、この話だけは初年兵に絶対に聞かしたらいかん、初年 兵が怖がって衛兵勤務に差し支えができるさかいと、衛兵司令から固く口止めさ れているんやけど、お前にだけこっそり内緒で聞かしてあげるわ。
 実はこのA橋に幽霊が出るんやぞ。お前はまだ見たことがないらしいが、そ のうちにお目にかかる羽目になるはずやから、今からその心積りをしておいたら ええわ。
 その幽霊というのは、去年の春この橋の上で自殺した兵隊が、成仏できんと 出てきよるわけや。深夜、俺たち衛兵が真っ暗な橋の上で一人淋しく立っている と、いきなり眼の前にそいつが血みどろの顔をして現れ、こちらに向かって敬礼 したかと思うと、『週番士官殿、銃を返してください』と、それはそれは悲痛き わまる声で叫ぶのや。そしてこちらが持っている三八式歩兵銃に人一倍長くて氷 のように冷たい手をさしのべてきよるんや。その恐ろしいこと。怖いこと。この 幽霊に逢うた者は、なにがなんでも銃をとられてたまるもんかと、必死で銃を抱 きかかえながら、一目散に衛兵詰め所めがけて逃げ帰ってくるんや。そして衛兵 司令から、お前どうしたと質されても、しばらくの間は物も言えず、ただ血相を 変えてぶるぶる震えているだけなんや。
A橋の幽霊の正体は、通信中隊の花村上等兵という男なんや。よその中隊やの に、なんで俺がこの男を知ってるかというと、連隊本部主催で各中隊対抗の銃剣 術の試合がおこなわれた時、うちの××中隊はこいつのおかげで優勝できなかっ たんや。そりゃ背が六尺近くもある大男で、銃剣術にかけたら無茶苦茶に強い男 やった。勤務成績もええとみえて、俺と同年兵やのにとっくに上等兵になってい た。この花村上等兵が、今夜の俺たちのように安義橋の橋梁衛兵に立っている時 、しくじりよったんや。
 なんでも花村は午前一時から二時までという時間帯に、橋上の定位置で一人 で立哨していたらしいが、昼間の疲れが出たのか、銃剣をつけた小銃を手から離 し、欄干にもたれて居眠りをしとったんや。すると運悪くそこへ渡辺少尉という 、連隊随一の嫌われもんの週番士官がやってきよったんや。俺もいっぺんこいつ に上着の第一ボタンが外れていると難癖をつけられて殴られたことがあるが、要 するに衛兵のアラ探しばっかりしとる蝮のようにいやらしい将校や。しかもこい つはわざと猫のように足音を忍ばせ、こっそりと衛兵に近づいて来よるんや。そ やさかい、花村上等兵もこいつが来とるのに全然気がつかへんやったんやろ。そ れを見た渡辺少尉はしめたとばかりに、花村上等兵の小銃をとりあげてしまいよ ったんや。
 はんまにこの週番士官はたちの悪い奴やろ。居眠りしている花村上等兵を起 こして、注意してやったらええのやないか。そのためには、どんなにきついビン タを食らわしても、怒鳴り散らしてもかまへん、小銃さえ取り上げてやらなんだ ら、花村には助かる道があったんや。
 俺たちはいつも上官から『この菊の御紋章の入った三八式歩兵銃は天皇陛下 から授けられたもので、貴様ら兵隊の命より大切なんだぞ』と耳がタコになるほ ど言い聞かされているが、その命より大切な小銃をとられてしもたら、一体どう なるんや。
 しかもこの週番士官はその後、衛兵の詰め所へ立ち寄ったが、出迎えた衛兵 司令には花村上等兵のことはなんにも言わず、まして衛兵司令の監督不十分の責 任を問うとか、叱りつけたりするといったことも一切せずに、黙ったまま花村上 等兵からとりあげた小銃を部下に持たせて、連隊本部へ引き揚げてしまいよった んや。ほんまに意地の悪い陰険なやりかたをしよる将校やないか。こんなことを されたら衛兵司令のメンツはまるつぶれや。
 間もなく花村上等兵がえらい事故を起こしたことを知った衛兵司令は、顔色 を無くしてしまいよった。夜が明ければ、この事故は連隊本部の副官や参謀の耳 にまで入ることは必定で、悪くすれば自分が軍法会議にかけられるだけやなく、 中隊長にも責任が及ぶかもしれんと判断しよったんや。そこで衛兵司令は花村上 等兵を呼びつけ、『お前のおかげで、俺の長年の軍隊生活は滅茶苦茶になってし もうたやないか。お前はこれから連隊本部へ行って、週番士官殿に頼んで小銃を 返してもろてこい』などと腹立ち紛れに到底不可能なことを口走りながら、上等 兵に殴る蹴るの制裁を加えよったんや。
 上等兵はしばしのあいだ衛兵司令のなすがままにされていたが、にわかに鼻 血でよごれた顔をふりあげ、「悪うございました。自分は責任をとらしていただ きます」と叫ぶなり、衛兵司令が腰にぶら下げていた拳銃を素早く抜き取り、そ れを手にしたまま橋の真ん中までまっしぐらに突っ走って行ってしまいよったん や。『こらっ、待て、花村!』。あわてふためいた衛兵司令は、そこに居合わせ た衛兵をつれて後を追いかけたが、花村は逃げながら拳銃の銃口を口にしっかり とくわえこんで、引き金を引いてしまいよったんや。もちろん、花村の脳髄は吹 っ飛んでしもた。
さあ、こうなったらえらいこっちゃ。この大事件はたちまち連隊中に知れ渡っ た。案の定、通信中隊の中隊長は責任を問われて処分され、衛兵司令だった軍曹 は軍法会議にかけられて、陸軍刑務所行きとなってしもうた。ところがおかしい ことには週番士官やった渡辺少尉にはなんのお咎めもなかったんや。こんな大事 件をひき起こし、あたら一人の兵隊を殺してしもうたのは、もともとこの将校の やりかたがいかんやったさかいやないか。
通信中隊の兵隊はなんとかして花村上等兵の敵をとってやりたいと、今でも渡 辺少尉を虎視眈々と狙っているらしい。今度こいつがいつものように足音を忍ば せて衛兵に近づいてきよったら、矢庭に銃剣で突き殺してしまうといきまいてい るらしい。そやけど渡辺少尉の奴、A橋で花村上等兵の幽霊が出ると聞いてから は、橋の近くにはめったにやってこないらしいんや」
 私はこうした話を聞かされたのは五月のある日だったが、その夜の勤務が怖 くて怖くて仕方がなかった。詰め所で古参兵と一緒にランプを囲んでいるうちは 気丈夫だったが、深夜、たった一人で、橋の中ほどにある定位置に立たされた時 は、心臓が凍りそうになった。夜の安義橋はすっぽりと漆黒の闇に包まれてしま い、ただ自分が軍靴で木の橋板を踏みしめる音だけがやけに甲高く響く。その闇 の中で抗日ゲリラがこれみよがしに、懐中電灯を点滅させて信号を送っているの が見える。にぶい銃声も聞こえる。私がいま立っている場所はまさしく花村上等 兵が立っていたところだ。しかも私の立哨時間も花村と全く同じだ。気のせいか 、誰かが近くに立っている。私は銃剣を取り直して、引き金に指をかけるのだっ た。


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