ヴェニスの貞操帯  

                       


 せっかくヨーロッパへきたのだから、音に聞く貞操帯(chastity belt)なるものを、ぜひ見たいと思った。ところがイギリスの大英博物館はもとより、ドイツ、フランス、スイス、ギリシャ、スペインなどの博物館でもみつけることができなかった。なかばあきらめかけていたところ、ついにイタリアはヴェニスのドゥカーレ宮の一隅で、拝謁の光栄に浴することができた。
もとヴェニス共和国の太守の館であり政庁でもあった、この豪壮なゴシック様式の宮殿に足を一歩ふみいれたとたん、その広大、絢爛豪華な室内装飾に、たちまち私の日本人的なちんまりとした感性は食傷し嘔吐してしまった。
 四つの扉の大広間、使節謁見の間、元老院会議場、大委員会大広間などと名付けられたどの部屋を巡っても、天井はもとより四方の欄間、壁面のすべてにわたって、ティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼといったヴェニス派の名匠たちが描いた超大型の宗教的寓意画や共和国の栄光を讃える歴史画が、しかも金色燦然とした額縁にいれてところせましと飾りたててあるのだ。
 これらの絵画の下には共和国の太守の権威の象徴である玉座を中心に、大臣や高官たちが威儀を正して着席した儀礼用の典雅な椅子がずらりと並んでいた。それらは人間よりも、むしろ神々が使用するにふさわしいような調度品であった。
 ああ、それにしても、なんという過度の装飾性だ! この息詰まるような執拗さと執着性、そしてこの天真爛漫の傲岸さ! ヨーロッパの宮殿なんてものは、どこへ行ってもみんな似たりよったりさ。このうえは早くここを出て、運河に架けた「溜息橋」という意味深長な名の橋で宮殿に直結されているお隣の牢獄館を見にいくとしよう。そこにはヴェニス共和国がもっていた暗黒面があるはずだ。
 こう思いながら宮殿の階段を降りていくと、意外にも出口に近いところに大きな武器陳列室があった。どうやらここは昔、宮殿の武器庫であったところのようだ。ところが私が日本から持参した本にもここで買った英文のガイドブックにも、この部屋のことはただの一行も書いていない。それだけにこれは掘り出しものだと思った。
 まず古風な大砲があった。それに中世の騎士たちが着たという、例の体型にぴったり合わせた鋼鉄の甲冑。色々な形をした槍。みるからに重量感あふるる長剣。無数の突起をもつ格闘用ハンマー。断頭用の大斧。弓と矢と箙。紋章入りの楯。各種の小銃、ピストルといった大小さまざまな武器が整然と並べられていた。
 私はこうした西洋の古めかしい武器や刑具をながめるのが好きだ。西洋の武器には日本のそれのように繊細、優美な感情の持ち合わせがない。敵を殺傷するという単一な目的を達成するために、一切の虚飾を省き、感傷をすてて、ひたすら剛直、愚直につくられているところがすごく魅力的だ。ついさっきまで宮殿の過度な装飾性に悩まされっぱなしだった私は、格別この武器陳列室に漂う殺伐にして単純明快な空気が気にいった。
 ところが、ふと奥まった所にある陳列ケースを覗くと、鈍く黄金色に輝くT字形の奇妙な物体が板にはりつけてあるではないか。はて、これは一体なんという名の武器だろう、と思ってなおよく見ると、それには二つの穴があいており、その一つはあきらかに女陰の形をしていたので、貞操帯だということがわかった。
 なんだ、おれが長年さがし求めていたものが、ところもあろうにこんな宮殿の一角にあろうとは! しかも物騒な殺戮用具の中にまみれて、鎮座ましましていようとは! 私はこみあげてくる可笑しさと嬉しさをおさえきれず、さっそく写真をとることにした。
 ガラス越しの撮影なので失敗してはならじと、念には念をいれて何度もシャッターを切った。つづいてノートを出して貞操帯の略図を描き、目測によるとはいえ、できるだけ正確な寸法をいれることにした。ほんとは手にとってじっくり眺めたいし、自分の腰に一度あてがってみたいところだが、そんなことが許される道理がなかった。
 こうして私が熱心に取材(?)していると、たちまち後ろの方に人垣ができた。世界のあちこちからやってきている観光客は、はじめ何事ならんと思ったらしいが、やがて一人の東洋人が熱心にスケッチしているものの正体がわかると、みんなクスクス笑いした。
 貞操帯の恰好はT字型。材質はたぶん薄い真鍮板。T字の一字の部分はお臍のあたりで裸の腰を締めつけるベルトになっている。その長さ約八五糎、幅約二・五糎。そのベルトの真中からI字型のやはりベルト状の長さ約五〇糎の金属が下に垂れさがっている。このI字型部分の幅は一定せず、一番細いところは約三糎、女陰や肛門にあてがう部分だけが、その形と幅にあわせて広くつくられている。このI字型ベルトをお腹の前から後ろへ、ちょうど褌をしめるような具合に股の間を潜らせて腰の一字型ベルトにむすびつけるわけだ。そしてこの腰の後ろの方にあるベルトの結節点では、錠前がかけられる仕掛けになっている。この錠前は貞操帯にとってもっとも重要な部分であることはいうまでもなく、その位置が装着された者にとって非常にはずしにくい後背部にあることに注目したい。
 周知のように貞操帯の起源については諸説紛々であるが、下世話に、十字軍の遠征に従った騎士たちが、その留守中に自分の妻もしくは愛人が浮氣をするのを防ぐためにその腰にはめたもので、当の騎士以外の者には絶対にこれをはずすことができないことになっていたという。
 そういえば、このヴェニス共和国は第四次十字軍の際、九千の騎士と二万の歩兵を送ってコンスタンティノーブルを攻略しているくらいだから、いま時分、もと十字軍御用達の貞操帯の一つや二つが宮殿の武器庫の片隅から現れても、ちっとも不思議ではないわけだ。
 また一説にはヴェニスの裕福な商人たちが、しばしば商用で長期の旅に出るので、自分の女房にこの貞操帯をはめさせ、その鍵を常に持ち歩いたともいう。こうした話はフランス・ルネサンスの作家ラブレーの『パンダグリュエル物語』に出てくるし、そこでは貞操帯のことを「ベルガモ式の錠前」とよんでいるのが面白い。この名称はヴェニスからそう遠くはなれていないベルガモ地方で貞操帯が作られていたことに由来するらしい。ほかに「ヴェニスの帯」とか「ヴィナスの帯」などとよぶこともあったらしい。
 いずれにせよ、この貞操帯の設計思想と構造は実にすごい! こう思いながら私はあらためて、陳列棚の中で、鈍い黄金色の光沢を放つものをしげしげと見た。そして貞操帯のメーカー(以後、この有能な職人たちに敬意を表して「貞操帯師」という敬称をたてまつろう!)が、「女性の貞操とはしょせんホール(hole 穴)の問題である」という純然たる哲学をもっていたことを発見した。
 つまり、夫の留守中、妻が不貞な行為を働くのは、女体が持つホールが自然の状態で開放されているからであって、それを物理的に閉鎖してしまえば妻の貞操などいとも簡単に守られる、といった思想である。たしかに貞操の原理はこの通りであろう。しかしながら、こうした原理をそのまま貞操帯の設計思想として、ただ女体のホールを閉鎖するだけの能力しかもたぬベルトを作ることはさすがにできなかったようだ。
 なぜなら女体にあけられたホールは、ただ貞操問題だけで掌握しようとするには、あまりにも多くの機能を持ちすぎている。つまり女体のホールは「貞操のみにて生くるものにあらず」なのだ。
 まず女体のホールは、常に体内に蓄積される排泄物、分泌物を、必要に応じて外界に放出するという役割をになっている。また時には胎内で発生し成長した新しい生命体を誕生させる際にも、きわめて重要な役割をはたす。こうした事実を認識すればするほど、かりそめにも女体のホールを閉鎖しようなどと考えることは、いかに無謀な企てであるかが思いしらされる。
 といって、自分の長期の留守中に、愛する女性のホールに自分以外の男性が侵攻してくるのをなんとしても防遏したいという十字軍兵士あるいは商人たちの熱烈な希求も、いちがいに退けてよいものとは思われない。ここにおいて貞操帯師たちは、女体のホールが生来持っている生理的機能をできるだけ損なうことなく、しかも「妻の貞操を憂える男たち」の純粋な要望に十分こたえられるようなベルトを生みだそうと腐心するにいたったようである。
 貞操帯師たちが貞操帯製造にかけた情熱と苦心のほどがいかなるものであったかは、ベルトがまさに女陰と肛門という二つのホールを覆わんとするあたりを子細に検討すれば一挙に了解できる。つまり、貞操帯の方にも女陰と肛門の形にきわめて忠実に合致させたホールがあけられているのだ。したがって女性は下腹部にこの貞操帯を装着したまま、大小の排泄物あるいは女性特有の分泌物を、体外に放出することが可能となる。
 しかし、これだけの機能ではまだベルトは貞操帯の名を僣称するに足る資格がないといわねばなるまい。なぜなら貞操帯の最大の任務は、夫以外の男性が女体のホールに侵入してくるのを完全に防御することにあるのだから……。そこで貞操帯師は、ベルトにあけた女陰型、肛門型という二つのホールの内側に、細く鋭い金属製の無数の剛毛を植えつけるという工夫をほどこしているのである。これがため、いかに勇敢かつ無謀の好き者でも、この凶悪な剛毛に守護された貞操帯のホールを一瞥もしくは一触しただけで、たちまち戦意を喪失し、突撃を断念して、撤退のやむなきにいたったものと推察されるのである。
 ところで、ここに注目すべきは、貞操帯には女体の前部にあるホールだけでなく、後部のホールにも夫以外の男性の侵攻を許さない防御装置がほどこされていたことである。このことは中世の騎士や商人たちが女性に要求した貞操とは、女性がその二つのホールともども夫以外の男性に開放しないことにより、はじめて全うされる性質のものであったことを物語っている。
 こうしてみると、貞操帯の最重要部分はやはり高度の防衛性を持つ剛毛つきホールと、ベルトを女体から容易にとりはずせないようにした錠前の部分にあることがわかる。この錠前が夫以外の者の手で自由に開閉できるようなことでは、貞操帯はまったくその存在価値を無くしてしまう。要するに、貞操帯師が追求した女性の貞操問題は、帰するところ、女体のホールに完全に鍵がかかっているか、いないかの相違にすぎないということになってしまう。
 とはいうものの、この貞操帯なるもの、みればみるほど、疑点、疑問、疑念、疑異が積乱雲のように湧きあがってくるのである。わけても私の心を大きく覆う疑雲は、こうした貞操帯をほんとに女の腰にはめたのだろうかということである。
 貞操帯とは男が浮氣女にみせびらかすだけの、単なる「威嚇的用具」にすぎなかったのではないか。あるいは男が旅に出る時、これを女房に買いあたえて、留守中はしっかり貞操を守ることを要求した一種の「お守り的・おまじない的役割をもった道具」ではなかったのか。さらにまた、これはマゾヒスティックな傾向を持つ男が、女の腰に短時間はめて楽しんだ「責め道具」の一つだったかもしれないのである。もっとも、これらはあくまで貞操帯を非実用的なものと仮定した時の推理であって、貞操帯は実際に使用されていたという説まで否定しようとするものではない。いずれにせよ、この貞操帯のような冷たく硬い金属製(革製もあった)のベルトなど、はめられたらたまったものではない。下腹部の柔らかい皮膚にじかに触れるものだから、そこを傷つける恐れがある。(金属の裏側がビロード張りになっている物もあったようだが、それとてたいした効果は期待できなかったはずだ)。
 また金属製のベルトがまるで褌のように股の下を通るとなると、当然歩行の妨げになる。夜寝る時にも大いに邪魔になる。特に仰のけになった時、腰の後ろの方についているベルトの結節点と錠前が当たって痛くて眠れないはずだ。冬季になると金属の冷たさが腹にこたえるだろう。
 いや、もっともっとつらいことが毎日のように起きるはずだ。それは貞操帯をはめたまま、排尿、排便する時に必然的に惹起するトラブルだ。貞操帯にはいちおう女陰や肛門の形にあわせてホールがあけてあるが、その内側には男性の侵入を防遏するための剛毛がいっぱい植えつけてあることは既に述べた。
 このホールの剛毛が排泄、特に大の方の排泄をおこなわんとする際に決定的な妨げとなるのである。このため婦人は排便の度に多量の水や温湯を用意して、ベルトもろとも臀部を洗浄しなければならなかったはずである。これこそ貞操帯という物体が内包しなければならなかった、絶対的自己矛盾といわずしてなんであろう。
こういうふうに考えてくると、貞操帯とは婦人にとってまことに戦慄すべき拷問用具にほかならないことがわかる。人によってはこれを装着されたため、たちまち病いを得て悶死したというケースがあったかもしれぬ。あるいは精神に異常をきたした例もあったろう。中世の婦人たちがいかに夫に対して従順であったとはいえ、こうした異形の物体をおのが肉体に固着されることに唯々諾々と従ったとは考えられない。死をもって抗議せんとする勢いをしめした女性もあったはずである。泣き、わめき、のたうちまわって抵抗するというのが、大方の女性たちの姿であったかもしれぬ。
 しかし、巷間伝えられるところによれば、貞操帯師たちはベルトをはめられて困惑している婦人たちの要望にこたえて、秘密裡に合鍵で錠前をあけるサービスをおこなっていたということである。これは大いにありうる話だ。貞操帯師はもともと貞操帯をはめられることになった婦人とは、当初から深く隠微な関係におちいる運命におかれていた。
 なぜなら貞操帯はすべて特注品であるから、注文をうけた貞操帯師はただちに婦人の下腹部を採寸するために参上しなければならない。もっとも貞操帯など発注するのは旦那の方にきまっているから、採寸にはそうした男が立ち会うはずである。しかし、いくら立ち合いの男が眼を光らしていても、貞操帯師としては、女にあられもない姿になっていただかねば採寸という仕事はなりたたない。ここに貞操帯師と女との間にデリケートな関係が生ずる契機があるのだ。
 そして貞操帯師はさらに貞操帯の仮縫い(?)、試着、修正、固着といった各段階で婦人と何回も逢い、その都度、婦人のきわどい部分をしげしげとながめたり、手を触れたりしなければならぬ。ここまでくると婦人の方に貞操帯師を深く頼みとする心情が生じてきても不思議ではない。そしてまた、そうした婦人の耳元で貞操帯師が、奥様、困った時はいつでも相談にのってあげますよ、と囁いたとしても、これまたちっとも不思議ではないのである。ああ、ここまで書いてきて、私はにわかに中世の貞操帯師という職業が羨ましくなってきた。
 ところで、十字軍の時代、貞操帯はたいへん高価なしろものだったという説がある。にもかかわらず騎士たちは、いとしい女房や愛人のために、競って身銭を切り貞操帯を新調した。その心情たるやじつに憐れむべきものがある。
 けれども、騎士とてみんながみんな世間知らずのお人好しばかりではない。なかには高い代金をはらって女房に貞操帯などはめたところで、自分が出征して三月もたたぬうちに貞操帯師が錠前をあけてしまうことぐらい、先刻承知の奴が何人もいたはずだ。といって、そうした連中も貞操帯をあつらえないわけにはいかなかった。うちの女房にかぎって間違いがない、だからおれは貞操帯なんてロクでもないものは買わんぞとうそぶいてみても、かんじんの女房が承知しないのだ。騎士たるもののつらい所以である。
「ねぇ、あんた、あんたはどうしてあたしの腰に貞操帯をはめてくれないのよ。えっ、あたしを信じているからだって、ウッソォ! あんた、お金が惜しいんでしょ。あたしを愛していないんでしょ。だから、あたしの貞操なんかどうなってもいいんでしょ。あんた、それでも一人前の騎士なの……」
 こうまで言われたら男一匹、いかなる貞操帯師でもはずせないような、溶接式のとびっきり頑丈なベルトを填めて女房を懲らしめてやるしかない。もっともそういう製品は当時まだ開発されていなかったけれど……。つまるところ、女なんてものは、男が、おいお前、貞操帯をはめるぞといっても泣くし、お前にはどう考えてもはめる必要がないね、といっても泣く人種なのである。(失礼!)
 ドゥカーレ宮の武器陳列室にある貞操帯をながめながら、けったいなことばかり考えているうち、ひょいと私の心に、こうした貞操帯はヴェニス共和国にとって有望な貿易品ではなかったかという疑いが湧いてきた。
 貞操帯の主産地として有名なベルガモ地方はヴェニス共和国の支配下におかれていたこともあったというから、この抜け目のない海上国家はベルガモ産の貞操帯を大量に仕入れては、それをヨーロッパ各国に売りさばいて大儲けしていたかもしれないのだ。そうすると、貞操帯というものは最初私が考えていたようにオーダー・メイドのものばかりでなく、レディー・メイドのものもたくさんあったとしなければならなくなる。
 それでは、いま私の眼の前にある貞操帯は、はたしてオーダー・メイドかレディー・メイドか。そして、いかなる女性がこれを装着していたのであろうか。ああ、ベルトの長さ八五糎という、たぶんに煽情的なデータだけ残して、永遠の彼方へ去って行った人よ。
 赤い唇よ。豊かな乳房よ。しなやかにゆれる腰よ。凹んだお臍よ。すんなりと伸びた脚よ。地中海を吹く風よ。中世よ。教会の尖塔にとまる鳩よ。草原を疾走する馬よ。悲劇よ。喜劇よ。ヨーロッパよ!
 いずれにせよ、私はこれで憧れの貞操帯を、とくと見せていただいたわけだ。さて、これから溜息橋の上に立って、その小さな窓から下の運河を行き交うゴンドラでもながめようか。イタリアの漁色・冒険家のカサノヴァもぶちこまれていたという、凄惨な牢獄館へ行くとしようか。
 そして、できるだけ早く、七月の眩しい陽光が燦々と降るサンマルコ広場へ出て、『ヴェニスに死す』の主人公のような顔つきで、この退嬰的な街をあてどなくさまよい歩くのだ。


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