西鶴の虹





もう三十年もの昔になるだろうか。井原西鶴の『好色一代女』の最終章「皆思 惑の五百羅漢」(むかし馴染んだ男に似た五百羅漢)を読んだ時、私は深い感動 を覚えた。そして、すぐさまこの物語の舞台となっている京都は岩倉の大雲寺へ 飛んで行って、西鶴描くところの羅漢堂なるものが、今でも遺っているのなら、 なにがなんでも拝観したいと思ったものだ。
なぜならばこの章ほど、五百羅漢を巧みにあしらって、愛欲の切なさと、人生 の無常を物凄い迫力でもって描いたものは他にないと思ったからだ。

この物語のヒロイン(一代女)は元来京都の由緒ある家の生れで、内裏に宮仕 えするところから人生のスタートを切るが、十三歳の時早くも同じ宮仕えの青侍 と色恋沙汰を起こして追放される。それから舞子となり、更にさる大名の艶妾と なるが、ついに十六歳の時、父親の借金のかたに島原の遊女屋に売られる羽目と なった。だが比類のない美貌にめぐまれ、しかも幼い時から手練手管を弄して男 をたぶらかす術に長けた彼女は、一旦遊女としては最上位の太夫にまでのぼりつ めるが、おのが容色と出自を恃んで客あしらいが悪かっため、太夫から天神、鹿 恋、端女郎と格をどんどん下げられてしまう。それでも十三年の年期が、どうに かこうにか明けて廓から解放された。しかし、誰も頼る人がなく、自力で生きて いかねばならないことに変りはなかった。
それからの彼女は、さる生臭坊主の大黒、裕福な町人の腰元、武家屋敷の奥女 中、川船の中で春をひさぐ歌比丘尼、貴人の家のお抱え髪結い、裁縫師、茶の間 女、風呂屋女、問屋の蓮葉女、私娼、旅篭女、遣り手婆などなど、それこそ女の 身一つで出来るこの世にある限りの勤めをしつくすが、どこでも持ち前の好色と 阿漕な行いが災いして長続きしなかった。

こうした遍歴の果て、さすがの彼女も寄る年波には勝てず、いつしか六十五歳 という老いをかこつ身になってしまう。それでもちょっと見には四十あまりだと 人がおだてるのをいいことにして、路上にむしろを敷いて男と寝る夜鷹にまで成 り下がる。しかし、いくら闇夜の厚化粧でごまかしても、疾うに還暦を過ぎたお 化けなど買う物好きはどこにもいず、夜が白むまでほっつき歩いてもとうとう客 は一人もつかなかった。

かくて彼女は淪落の果て、わが性も生ももはやこれまでと観念し、後生を願う つもりで、この世の浄土と思われる岩倉の大雲寺に詣でたのだった。有り難いこ とにはその日はちょうど佛名会で、彼女も念仏を唱えながら本堂から下がって行 くと、境内に立派な羅漢堂があった。何気無しに覗いてみると、そこには、どこ の仏師たちが彫ったとも知れぬが、ひとりひとり表情の違った五百羅漢が並んで いた。その仏様たちの顔をしげしげと見渡していくと、いつしかそれは、彼女が かつて枕を交わしたことのある、無数の男たちの顔に変っていくではないか。

いのちがけで愛してくれた男、やさしかった男、誠実な男、小利口で小心な男 、勘定高い男、狡猾な男、いやな男、悪い男、美貌の持ち主だった男、禿頭の男 、精力絶倫の男、弱虫で短命だった男。こうして次々と男たちのことを思い出し ていると、色事に明け色事に暮れたわれとわが身と過来方が、今更のように浅ま しく恥ずかしく、胸はとどろき涙はとめどなく溢れて、ついに彼女はその場によ よと泣き伏してしまった。
するとそこへ一人のお坊さんがやってきて、「これこれ、ご老女、なにを嘆い ておられる、これらの羅漢さまの中に、そなたより先だった子供か夫に似たお姿 があっての涙なのかな」と問いかけてきたので、彼女はもはや恥ずかしさに堪え きれず、そそくさとお寺から立ち去って行くのだった。

こうした『好色一代女』最終章の叙述と、原本から復刻された羅漢堂の挿し絵 を見て、私が切実に大雲寺の五百羅漢を見たいと思ったのは、われながら無理か らぬことだった。ところがテキストには「羅漢堂は今はなし」との注釈がついて いるではないか。急いで他の文献にもあたってみたが、明治以来の大雲寺には羅 漢堂があったためしがないばかりか、近世にもこれがあったとする史料すら無い ことがわかり、私はがっかりしてしまった。そして、この羅漢堂が元禄の世に本 当にあったのか、それとも西鶴の創作なのかをあきらかにする術もないまま、つ いに私はこの寺を訪れることはなかった。

ところがこの正月休みに、久しぶりに『好色一代女』を読み返していて最終章 に突き当たると、たとえ物語に出てくる羅漢堂がなくともよい、寛永年間に再建 された本堂、つまり西鶴が見たはずの本堂が今でも遺っていると、手持ちの資料 にあるからには、是非とも大雲寺へ行ってみたいという気になってしまった。そ れはかつて覚えたことのない強い衝動だった。無論、私にはこうした想いの因っ て来たるところが那辺にあるかよくわかっていた。
私もいつしか大雲寺の境内で泣き崩れたかの好色一代女とは同年輩、いやそれ を上回る年になってしまったのである。この辺で私も一代女のひそみにならって 、いままでなんらかの交渉があった女たちの面影をひそかに偲んで、恥多きわが 生と性を省みるのも悪くないではないか。無論、私が若い頃から知り合った女の 数など、たかが知れている。それなのに大雲寺へ行きたい、行かずにはおれなく なってしまったのである。

かくして、いやにうそ寒い曇り日に、私はラム皮のハーフコートに身をつつん で、電車とバスを乗り継ぎ、京都市の北の最果ての地、岩倉くんだりまでのこの こと出かけて行ったのだった。着いたのは午後二時すぎだったが、これが北山時 雨というものなのか、絹糸のように細い雨が降ったり止んだりしていた。そして 時たま太陽が、慌ただしく動く雲の切れ目から顔を覗かせるのだった。

ところが大雲寺の入口なる所に立って、私はあっと息を呑んでしまった。そこ にはこの寺が紫式部や井原西鶴ゆかりの文学史跡であるとの立て札が麗々しくか かげてあるが、見えるのは、せいぜい数年前に建てられたと覚しき粗末な鉄筋コ ンクリート二階建ての寺院のみで、どうやらここに本尊の十一面観音をまつり、 住職一家も住んでいるようだった。
私が史料でみた往年の重厚な本堂も経蔵も鐘楼も、嘘みたいに消え失せてしま っていた。しかもその跡地と裏山一帯は大雲寺霊園と称する、広大な分譲墓地と 化してしまっているではないか。つまりこの寺も、いま流行りの墓地ビジネスに 乗りだし、将棋盤のように細分化した土地を、墓石もろとも一区画何百万円とい う高値で売り出すことにより、一攫千金を企んでいることは見え透いていた。
しかしこれでは世間の風当たりが強いと見て取ったのか、墓地の一角に「大雲 寺本堂完成予想図」なる大看板をこれみよがしに掲げている。そこには立派な御 堂の絵が描いてあるが、いつ再建するとは書いていなかった。

私は寺の懐具合や思惑など知る由もないし、寺が何をしていようと関係ないわ けだが、ただ、もう少し早く来てさえいれば、西鶴が見たのと同じ本堂が見られ たものをと思いながら、規格化された真新しい墓石が立ち並ぶ中を歩きまわった 。もうこうなれば、せっかくの好色一代女のゆかりも思い出もへちまもあったも のではない。

だが、ふと間近い北山の方を見ると、山の色濃ゆい緑を背景にして、私が久し く見たことがない見事な虹が、大きく弓なりにかかっているではないか。とっさ に私は、ああ、これは西鶴の虹だと叫んだ。西鶴は自分の小説に感動するあまり 、ついに重い腰をあげ、岩倉くんだりまでやってきたマイナー・ポエットのため に、虹となって歓迎の挨拶を送ってよこしたのに違いない。
そして西鶴は「井上さん、せっかく大雲寺まで来ていただいたのに、私の小説 の中の羅漢堂はもちろん、本堂まで跡形もなくなってしまって、ほんとに残念で すね。由緒ある寺をつぶして墓を作るなんて、平成の坊主はなにをやらかすか知 れたものじゃありませんな。いや、あたしが生きていた元禄時代でも、これと似 たことをやらかす生臭坊主がいたもんですよ。でも、この虹を五百羅漢の代わり にして、じいっと見詰めてくださいよ。すると、ほら、七色の帯の中に、あなた が忘れようとしても忘れられない女たちの面影が次々と浮かんでくるでしょう」 と語りかけてくるのだった。


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